あたらしいみち

2019.07.18

先日通勤するのに新しい道を見つけました。
新しいと言ってもしばらく前からできていた道で、チアキの通っている陸上クラブの練習がある公園に、毎週彼女を連れて行っているアキコから以前に聞いてはいたのですが、いったいどこの道なのか分からずじまいでした。
新しい地域に引っ越したこともあって、慣れない通りを自転車だったり、駆け足だったりでうろうろしながら通勤していたのですが、どうにも今まで通っていた田んぼの真ん中のように身持ちがゆったりとこないものでして、日々道を変えては、ふーん、ふーんと喜びとも何とも言えない感想を抱きながら走っておりました。
いくらかおもしろい道はあったのです。
線路を並行して走る用水路に蓋をした道路は、歩行者と自転車しか通れなくて、ちょっと広い裏路地のような感じで、洗濯物が干されていたり、急に幼稚園があったり、その会社しか横断できない秘密めいた道路になっていたり、この時期はうっそうとしてトンネルになってしまう地点があったり。夕暮れを過ぎた頃にはお茶碗を洗うような音がきちんと響いてくるような通りでした。
でも、その短い通りが終わってしまうと、またみんなせかせかして走る車どおりの多いところに戻ってしまって、私まで相変わらず気持ちがせかせかしてしまう。
そんな時に、娘たちが通っていた幼稚園の裏のサイクリングコースからそのまま河川敷へと抜ける道があったのでした。(通っていいんだよね。)
そこらに低い草が生えた土の道をしばらく走ると相模川を渡る橋を2本くぐり抜けられて、さらには小田急線も潜り抜けて、そのまま道は土から小石へと変わると、間もなくアキコが言っていた道にぶつかったのでした。とても広いけれど車も居ない気持ちの良い舗装された道。河川敷の釣り堀のそばだからか猫たちは心地よさそうに寝そべり、その先の加工に釣り糸を垂れるおじ様たちをへぇと思いながら通り過ぎると、気が付くといつも車で走っている道路たちがすぐ横にあるのでした。
その様子がどうにも気持ちよくて、ジャンクションを急ぐ車の音に負けないくらいしっかりと揺れる葉っぱがサラサラいう音を聴きながら南下してゆくのは何とも気持ちが良いのでした。
巨人のようにそびえたつ橋脚の脇を走り抜け、今まで知らなかったとてもきれいな公園も通り抜け、気が付くといつも渋滞している橋のそば。
ここで終わりかな、と思える場所のその向こうを見ると、まだ奥にきれいな道が見えました。
小道からトンネルに入り、トンネルで寝泊まりしていて今は留守にしていたホームレスの人の住まいを横断し(パンク修理、包丁研ぎ500円)、圏央道の下の誰も通らないきれいな道路を走っていくといつもと違う裏側から見る倉見駅にたどり着いたのでした。
へぇ、すてき。
自分の住む町って、これほど長く住んでいてもう自分はこの町のことを何でも知っているような気持になっていても、やっぱり知らない通りはたくさんあります。
人の思いってやっぱり自分勝手なものでして自分が見たいと思うものはよく見えるけれど、必要と感じないと見えていても見ていないのだなあ。
見たいものには一生懸命ピントを合わせるけれど、その周りは、見たいものだけが際立って見えるようにぼやけて見せてくれる。(自分なんか見たいものも眼鏡が無いと見えづらくなってきてしまいましたが。)
もしかしたら、ぼやけてしまう中にとても大切なものがあるのかもしれないけれど、今の私には見えていないとしたらきっとそれを知るのは今ではなくて、知るべき時が来るはず。
そうして少しずつ前に進むことができているのではないかと、新しい道を走りながらぼんやりそう思ったのです。