おめでとう、ハルカ。
2020.03.11
「私もみんなも先生も泣いちゃったよ。」と晴々した顔をしてハルカが帰宅。
とてもよい3年間だったようで私たちもそばで聞いていてうれしくなります。
「今井会長、先ほどみな無事に送り出すことができました。皆さんにはご参加いただけず、とても心残りはありますが、とても良い式でしたよ。まずは報告させて頂きますね。」
と、彼女が戻ってしばらくしてからわざわざ校長先生からもうれしいお電話を頂きました。
参加できなくて残念ではありますが、彼女の顔を見て、先生の言葉を聞いただけで良い式だったのだなあと思えます。
一応私なりに挨拶を考えていましたが皆さんに伝えられなかったので、ここに書いておこうかな。
皆さん、ご卒業おめでとうございます。
卒業証書を受け取って私たちの前で一礼していく姿を見ていると、その凛々しい姿にとても頼もしさを見ることができました。もう前に進むことを躊躇わない姿が映っていました。
皆さんはこれからこの中学校区を離れて、いろいろな方向へと将来への道を歩んでいきますね。
喜びを感じることもあれば、苦しさを感じることもあると思います。
そういういろいろな思いでいっぱいになった時にちょっと力を与えてくれるかもしれないって思えること、私が若い時に感じたことをひとつお話ししたいと思います。
今から21年前に公開された映画で「マトリックス」という映画がありました。
当時は実写のドラゴンボールのようだ、なんて言って楽しんでみていた映画です。
なかなか面白いテーマの映画でしたので皆さんも機会がありましたら、見てみてくださいね。
その中の登場人物が主人公に自分の進む道を選択することを促すシーンがあるのですが、初めてそれを見た時にわたしは選択なんて当たり前のようにしていることだし、いまさら何を意識しなければいけないのだろう、とふと不思議に思ったのでした。
でもね、こうして年を重ねてみると、「選択する」ということがどういうことかなんとなく分かってきました。
私たちは毎日毎秒自分でも気づかないうちに一つの道を選びながら暮らしています。
朝起きて、トイレに行こうか、顔を洗おうか。
空が曇っているけれど傘を持っていこうか、どうしようか。
例えば、君が家の鍵を忘れたのに気が付いたけれど、その時に鞄を見返してれば、今日提出するプリントを忘れずに済んだかもしれない。忘れたために補講を受けることになったから、家に帰るのが遅くなって雨に打たれて、翌日から3日間風邪で寝込んでしまった。
こんなふうに、ひとつの選択が全く違う形で結果に表れてくることもあります。
例えば、(このお話は先生ごめんなさい。)高校2年の時に授業中にこっそり読んだ「ツルモク独身寮」というマンガがあったから、インテリアデザインという仕事があることを初めて知って、家具を作る道、家具をデザインする道に進むことができたのかもしれない。
ひとつの選択が大きな結果になることを意識していると自分に対して気持ちをしっかり持とうと思えるのです。
例えば、新しい学校に入って、同じ中学からの友人のクラスは、何人か知り合いがいて楽しそうに思えるのに、自分の周りは知らない人ばかりで、全然楽しめない。授業も思っていたよりも楽しくなくて、こんなことならもっと友達が多く行った学校に一緒に進んでいればよかった。この学校に決めたのも両親の勧めで入ったからで自分は特別ここじゃなくてもよかったのに。なんて思ったりするかもしれない。
でも、結果としてこの学校に行くことを選んだのは自分なので、このクラスの分け方になったのも自分がこの学校に入ったらそうなることもありえるのです。そういう場面に直面した時に自分が選択したのだから自分が選んだ結果に悔しがるだけではなく、自分で選んだなりの答えを探していこう、という前向きな気持ち、すなわち自分の中での責任が生まれていく、それが自分で選択することなのではないかなと思えるのです。
私が今ここにこうしていられるのも、そういう自分の気持ちに迷った時に、「でも、こういう考えでこの道を選んだのは自分だし、それならよくなるように考えないとね。」という気持ちを持ってこられたからかなと思っています。
みなさんがこれから進む道では、そういう思いで立ち止まる時が来ると思います。
そうなった時になぜ自分がこの道を進んできたのかを選んだ気持ちをはっきりと思える気持ちを持ちながら、たくましくしなやかに進んでいってほしいと思います。
自分だけすっかり部屋着のままの写真ですみません・・。