偲ぶ

2021.12.29

(告別式の日の空の写真と、お葬式までの間にダイスケさんと三日間用意したお団子とご飯。本当はダイスケさんのおいしいおにぎり食べさせてあげたかったな。)

今年あった大きなことは、今井のお母さんが亡くなられたことでした。地元の方々には伝わっていたようで、弔問に来てくださりありがとうございました。
個人的なことなので、会社としてどうすれば正解なのかはわかりませんが、2014年から退職されていましたし、会社としては喪中とせずに新年を迎えるとこに致しました。

今思い返せば昨年の今頃から兆候はあったのかもしれません。「お正月のお料理、今年からなくてもいいかしら。お茶するだけで。」とお話があったのです。そうだよね、たくさんのお料理用意するの疲れちゃうますし、「わかりました。顔合わせられればいいので大丈夫です。」と伝え気にしていなかったのです。お元気でしたし。70代になれば、自然と行動もゆっくりになりますし、言い間違えもありますし、年齢的に自然なことだと思っていました。お化粧もされなくなりました。
できることとできないことが出てくるようになったとお話を聞いても、病気とは思わず、老化の一つで自然なことだと思っていました。
「お母さんがやっぱりちょっとおかしいんだよね。」とお父さんからお話があったのは8月頃でした。
認知症でしょうか、受診してみましょうとお話をしてから、実際に病院にかかるまでには時間が必要でした。「そうだね、じゃあ認知症外来に予約とって連れて行こうかな。」ととんとん拍子にはいかないのですね。当人同士が受け入れるまでに、症状の悪化など、次の決定的な事実が必要だったようです。
日常生活の自立が困難となり病院に受診に行くと、脳の難病という診断を受けました。早い人で余命1ヶ月の病気なのでそのつもりで生活したほうがいいですとのことでした。衝撃的でした。
在宅で一緒に過ごすために、地域包括支援センターの方に相談して介護認定を申請して、訪問看護・介護サービスの申し込みをしたり、色々な方々に動いていただきました。ありがとうございました。
サービスが受けられるまでの間は、弟さんご夫婦と自分達で手分けをして動いていきました。そして、担当の先生からお話にあった通り約1ヶ月後11月上旬に亡くなられてしまいました。73歳でした。介護申請の認定通知が来たのはその後でした。
あっという間の出来事で、心が追いつくまで間もなく次はお葬式・告別式、お墓を探さなくてはと悲しむ間も無くやらなければならないことの連続で、ご家族が亡くなられた方々のお気持ちがわかりました。とても忙しいのですね。
先日無事四十九日を終えることができて、ひと段落することができました。
会長も悲しみの中ひとりで動くことは年齢的にも無理なので、会社を留守にすることが多かったのですが、ノガミ君を始めスタッフのみんなが「大丈夫です。」と送り出してくれたので、とても助かりました。心強かったです。
会社は関係ないからと、ダイスケさんは手を止めることなく働き続けていました。お正月休みに入った今はお仏壇を作っています。「ダイスケ相変わらずね。」とお母さんも思われているでしょう。
思い返すと後悔することは色々とありますが、お母さんとの時間ができるわけではないですし、亡くなる時まで教えていただいたことを大事にして、過ごしていきたいと思います。

このような経緯で、あまりに急なことだったのでお伝えすることが追いつかず、日ごろお世話になっている皆様には失礼なことがあったかもしれません。何卒ご理解いただければと思います。
年末年始ご家族揃って過ごされる方々が多いことと思います。その時間を大切になさってくださいね。私もそうしたいと思います。