人が作るもの

2024.05.07

先日、世田谷美術館で「民藝」という企画展が開かれていたので、連休中は遠出もしない私たちでしたからちょっと見に行ってみようと出かけたのでした。
(遠くに出かけるのは気持ち良いのでしょうけれど、それよりもアイに毎日会うほうが大切に思えてしまって、というのは一つの言い訳なのかもしれません。毎日決まった時間割でいることが心地よく楽に思えてしまうのです。)
ハルは午後からサークルの活動があるということで、アキコとチアキの3人で。
高校生になってもこうして一緒に出掛けてくれるのはとてもうれしいことだけれど、年頃だからかなあ、彼女の好みが分かりづらい・・。

その展示会、なかなか考えさせられるものがありました。
その形を作るための材料から作り上げる制作者さんたち。それはとても素晴らしいことでできあがった物はとても美しい。人がきちんと考えて成った形であり、人の手でしっかり作られたものは美しい。
そして制作者さんたちは、「日用品として使ってほしい。」とみんなおっしゃっていました。
おっしゃる通りに普段から使っていきたいと常々思うのだけれど、物を作り出すことが簡単にできるように思えてしまうこの頃では、日用使いにははたして成りづらいのかもしれない。
硬貨数枚で、日用使い出来るものが当たり前のように手に入ってしまうこの頃では。
それぞれのインタビューを見ていて、その物作りの美しさという輝きの奥にある翳りを感じたのでした。

私たちの作る家具においても同様です。
むかーし、たしかテレビのニュースかワイドショーでシステムキッチンを作る工場が特集されていたことがあった。
まだ小学生の頃だった私は、大小さまざまな板が置かれたステージがベルトコンベアで流れてきて、そのステージに作業服を着た職人さんがひょいっと乗っかって、あっという間に流されながら組み立てていく。そして、組まれた箱がそのまま次の工程に流されていく。
ナレーターの人が「20分でこのように組み立てられていくのです・・。」というようなことを言っていたような気がして、すごいなあ、なんて思ったのを覚えています。
その頃はまだ父もこの仕事を始めていなかったので、家具のことなんて興味はなかったのですが、工作は好きだったので、興味深く眺めておりました。

私たちの作る家具やキッチンはどこに向かうのだろう。
私たちは自分たちで作るものたちの在り方をきちんと思いながら作ることを続けないと。
何か大事なものが流されてしまわないように。

あとはチィちゃん、何か感じてくれたかな。大変分かりづらい子だけれど、良いも悪いも楽しいもつまらないも何かしら感じてもらえたらうれしいな。