タモ柾目の洗面脱衣室の家具たち

2024.05.22

そういえば、先月ここに打ち合わせに来た時に思ったのでした。

途中で見かけた「朝霧高原」の看板にふと懐かしくなりました・・。と

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朝霧高原と言うと、まだアキコと結婚する前にこのあたりに来たんだっけなぁ。

あの頃は、この家具づくりの仕事をずっと続けていくのかなあとぼんやり不安になって、自分が何をしたいのかよく分からなくなってたような気がする。当時は家具作りというよりは、お店の家具ばかりを作っていて使う相手が見えないことや、作っても数年間で改装工事になって壊されてしまうようなものが多かったり、内装屋さんから降りてくる形は、見た目ばかりが重視されて、作りが貧弱だったり、使いづらいだろうかたちばかり作ることが楽しくなかったのかもしれない。

そして、やはりぼんやりと結婚という言葉が頭に浮かぶようになってきた頃だと思う。

不意に、動物の世話をしながら暮らしてみたいなぁという思いが以前よりも強くなったのだ。なんとなく、日の出とともに動物たちと起きて毎日を生きるという暮らしを夢見たのかもしれない。

口に出したからには実行しなければ、という思いがあって、ある牧場に見学させてもらえるように約束したのだった。

少し涼しい季節だったかな。とても広い高原を二人で歩いたことをなんとなく覚えている。

少し緊張しながら(一人だったらもっとガチガチになっていたかも・・)訪ねると、オーナーは最初から少し諦めた表情で、もう何度も繰り返しているだろう話をしてくれた。

動物と暮らすことは思っている以上に大変だし、それで食べていくのは、とても厳しいことだよ、と楽しそうな話はひとつもあがらなかった。きっとそのあとには、それでも生き物と暮らす喜びはそれ以上に素晴らしい、と無言で伝えていたのかもしれないが、二十歳過ぎのしかも一人で来られないような覚悟の子供が甘えてできる仕事ではないとふるいに掛けたかったのだろう。

「それでも、住み込みでやっていきたいと思うのなら、また来なさい。」

とそう言ってくれた。

案の定、私は行かなかった。その後の連絡も取らなかった。きっと失礼な若造だと思ったことだろう。

すみませんでした。

私は「あきらめろ。」と誰かに言ってほしかったのかもしれない。

情けないことに今までをきちんと自分自身で考えて生きてきたって胸を張って言えるわけではなくて、いつも誰かにきっかけを作ってもらって流れるように生きてきたように思える。大学を辞めたことも、今の仕事を始めたことも、インテリアの専門学校に行ったことも。

そして今もこうして誰かにこっちにくるなと言ってもらえて、いかなくて良い理由ができたことに安心しているのかもしれない。

このあたりに来るとそういう情けない自分が思い出されるけれど、その何もかもがあって今がきっとあるのだろう。

感謝しなくてはいけないよね。

現地に早く到着したので、こうして昔を思い出したのだ。

懐かしいね。

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昨晩から降り続いた雨は、沼津を抜けて小さく山間をくぐるあたりになり駿河湾を望めるあたりに差し掛かる頃には路面がちらほら乾き始めるのが目につきました。

今日は富士山をぐるりと回り込んで富士宮までワタナベ君と、ヒロセ君、タケイシさんと4人で出かけたのでした。用意しておいた合羽が活躍することもなく、現場に到着するとほどなくしてぎらぎらと太陽が照り付けるようになりましたのは、やはりみんなの日頃の行ないが良いからなのでしょうね。

私もそのつもりで心掛けておりますが、なぜか一人で汗が止まりません。暑さのためなのでしょうか。

今日は平成さんから頂いた洗面脱衣室の家具たちの取付の最初の日です。

「エコカラット施工前にここだけは設置してもらえるとありがたいのです。」と監督のKさんとは、7年前の大きなキッチンを作らせて頂いた時にお会いしたきりでしたので大変久しぶりだったのですが、懐かしくて思わずうれしく口元がほころびました。うれしいなあ。

そのような段取りが必要でしたので、洗面カウンターを取り付けに来たのですが、それなら一緒にということで、タケイシさんが担当した乾燥機を収納する家具と、ヒロセ君が担当した引き出しがたくさんある収納も一緒に持ち込ませて頂きました。

やはり平成さんの現場はリノベーションでも精度が良いので、順調に納めることができて、あとはワタナベ君が担当しているかなり大きな収納をもって来月にまたあらためてお伺いします。

そういえば、今回の突板はタモの柾目。柾目なのだけど、木目が規則正しくリピートする感じを和らげたいというリクエストで、柾目のランダム張りで制作しているのです。