私たちが心掛けていること
私たち注文家具屋において、いったいデザインとはどういうことを指し示しているのでしょうか?
私たちなりの考えをまとめていますので、よろしければご覧になって下さい。
昔、宮沢賢治の「ポランの広場」という話の中に、私が気に入ったエピソードがありました。主人公のレオーノ・キューストという官吏が仙台に出張に行った時に寄った床屋での出来事です。
「ポランの広場」の広場からの抜粋
私は一件の床屋に入りました。
それは向側の鏡が、九枚も上手に継いであって、店が丁度二倍の広さに見えるようになって居り、糸杉やこめ栂の植木鉢がぞろっとならび、親方らしい隅のところで指図をしている人のほかに職人がみなで六人もいたのです。
すぐ上の壁に大きながくがかかってそこにそのうちの四人の名前が理髪アーティストとして立派にならび、二人は助手として書かれていました。
「お髪はこの通りの型でよろしゅうございますか。」私が鏡の前の白いきれをかけた上等の椅子に座った時、そのうちの一人が私にたずねました。
「ええ。」私はもう明日は帰るイーハトーヴォの野原のことを考えながらぼんやり返事をしました。するとその人は向うで手のあいているもう二人の人たちを指で招きながら云いました。
「どうだろう。お客様はこの通りの型でいいと仰っしゃるが、君たちの意見はどうだい。」 二人は私のうしろに来て、しばらくじっと鏡にうつる私の顔を見ていましたが、そのうち一人のアーティストが、白服の腕を胸に組んで答えました。
「さあ、どうかね、お客様のお顎が白くて、それに円くて、大へん温和しくいらっしゃるんだから、やはりオールバックよりはネオグリークの方がいいじゃないかなあ。」
「うん。僕もそう思うね。」も一人も同意しました。私の係りのアーティストが俺もそうおもっていたというようにうなずいて、私に云いました。
「いかがでございます、ただいまのお髪の型よりは、ネオグリークの方がお顔と調和いたしますようでございますが。」
「そうですね、じゃそう願いましょうか。」私も叮寧に云いました。なぜならこの人たちはみんな立派な芸術家だとおもったからです。
ここで登場する床屋さんの対応がとても好きで、(私たちの仕事もこのように楽しくやってゆけたらすてきだろうな。)と良く考えておりました。
この床屋さんのように、私たちも皆さんがインテリアのことで分からないことがあれば、自分達の知識の範ちゅうで教えてあげたり、意見を出し合ったり。
そこから広がりが生まれて、家具を作ることになったり、魅力的なインテリアのプランニングが出来たりと実際に家具を製作している人間と言う立場からの提案がもっと気軽におこなえるようになる環境を作ってゆきたいのです。
「とりあえず、フリーハンドイマイに聞いてみよう。」
私たちの考えているデザインの在り方が皆さんの中に浸透していって、上の言葉のように「いつでも「フリーハンドイマイ」と言う場所は皆さんのそばに在る。」
と言うようなカタチを作って行くことが私たちの理想です。
見た目に受ける印象というデザインの在り方は、もちろんいろいろな方の嗜好がある上で大切な事だと思いますが、私たちが最優先するのは、「いかに機能的でその人の使い方に合っているか」ということです。
「機能的に優れているものはデザイン的に美しい」と言う言葉が在るように家具と言うものは人の生活の動線の中に溶け込まなくてはならないものだと思っています。
ですから私たちは何回もお客様と打ち合わせをして何度もプランを変更してお互いが納得いくカタチが決まるまで話し合います。
この過程によって生まれる家具こそがデザインされている家具であると私は考えています。 使う人一人ひとりの要望を組み込みその人の生活にしっくりとなじむものを生むことが私たちの仕事だと考えています。
もっと簡潔に言いますと、打ち合わせと言うプレゼンテーションの場を持つことが、つまり作り手と使い手との対話こそが私たちのデザインの一番重要な部分なのではないかと思っています。
昔は、「ちょっと、こういうもの作ってくれない?」
と、町の大工さんや建具屋さんに気軽に頼めた事が今では物事が細かく分かれすぎて頼みにくい状況になっていると思います。
ちょっと寄り道して、
「これ直してくれない?」
「こんなものどうかな?」
などと皆さんが話し掛けやすい頼りになる存在になることを私たちは目指しています。